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想いと生い立ち

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はじめまして。私は林れいかと申します。


24歳保育士の娘、大学生の息子がいるシングルマザーで、北海道の山の中でてんねんやという自家培養酵母のパンと菓子工房をして20年になります。


骨折と事故でパンが沢山作れなくなり息子への仕送りに困った時に、力がなくても出来る事を探して昔描いていた絵を再開しました。


この森で生まれた窓の霜「氷紋」の美しい写真があったので、それを元にデジタルアートを制作してSNSなどで発表、ネットギャラリーで販売を始めたところ、上野、ルーヴルやフィレンツェに出展する機会をいただきました。

これまでの活動・経歴
絵が生まれた森、
千年先へ遺す
巨樹の森プロジェクト
へ至る道のり

生まれは埼玉、人生の半分は関東と札幌、半分が北海道伊達市大滝区のこの山の中。

20代の頃から囲炉裏やかまどのある日本昔ばなしに出てくるような家に住みたいと思い、沢庵用の大根や干し芋や干し柿が縁側にぶら下がっているような手づくりの田舎暮らしが夢で、おばあちゃんみたいと言われるくらい田舎志向がありました。

美術の専門学校を出て東京でデザイナーとして勤めた2年で身体を壊したこともあって北海道に戻り、自然に生きたい志向に拍車がかかりました。

結婚して長女の妊娠中に切迫流産や不自然な陣痛促進剤使用の苦しい出産を経験しました。


現代の暮らしに潜む様々な不自然を目の当たりにした体験から、これからは自然出産、自然育児、自然農など、昔ながらの人間らしい自然な暮らしをしたいと感じ、夫と当時2歳の娘と支笏洞爺国立公園内にある現伊達市大滝区、元大滝村に移住し、百姓仕事や薪割りを始めました。


このころは自然育児に全力で、布おむつや手作りの食事で日々いっぱいで、すでに平面の絵を手放して、暮らしを作るほうに移行していました。


自然なお産に命を懸けられた故吉村正先生との交流や仲間との活動は新聞にも取り上げられ、お産の体験についてのエピソードや、自然な暮らしの中での実話がいくつも残っています。

離婚、そして
天然酵母との出会い

田舎暮らしにどっぷりハマった私と当時の夫には方向性の違いが生じ、子供達が5歳と1歳の時に離婚しシングルマザーになりました。


まだ慣れない雪深い山での小さな子連れ暮らしで物理的な無理と諸々のストレスが重なり、長女を時のトラブルで元に戻らなかった股関節が悪化してまともに歩けなくなりました。


縋るように友人の紹介の整体に通いながら、こんな状態でこれからどうやって子供たちを育てていこうと途方に暮れている時、お世話になった親族の仏前にお供えした手づくりおはぎのあんこの残りがぶくぶく発酵して天然酵母を発見し、これで生きていきなさいと言われたような気がして、その酵母を大切につなぎ続け、身体が良くなるにつれ、元々好きだった料理に加えてパンや焼菓子を作り始めました。

当時はまだ天然酵母が世に出始めたばかりで、この地域には今のようなお洒落な店もなく、良い素材で自然に作る手づくりの素朴なものを求める仲間たちの需要もあったので、子供たちや大切な人に安心して差し上げられるものを、働くなら世界に良いことをと一念発起し、友人の伝で古い農家を借りて「てんねんや」というパンと焼菓子の工房を始めました。

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生かされている
生かしていただいている
生きることを許されている

口コミやイベント出店、委託販売から始まり、毎週一回街中への配達から自然な拡がりを経てネット販売に参入をし、半農半パン屋としての暮らしが約19年、畑仕事、薪割りなど手作りの自給自足的な暮らしを続けて22年が経ちました。


子供たちが家から離れふとした時に気づいたのは、今まで数えきれないほど、ありとあらゆるところで助けていただいてばかりだったということ、この世界は人だけでは出来ないことが沢山あるということ。この暮らしの中で体感させていただきました。

生かされている

生かしていただいている

生きることを許されている

命懸けの出来事もあった山暮らしの中で、助けていただいたとしか思えないような体験を山程させていただき、人は1人で生きていないこと、見えない何かと確実に繋がっていて世界は動いていることを知り、行き着いたのは大自然への畏怖の念、そしてあまりにも沢山いただいた分、私も恩返しをしたいという感謝の気持ちでした。

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骨折、
トラウマ、
瓦解

そこから人生の大転換が始まり、私はちょっと複雑な人生を歩んできたので、無意識にトラウマを抱えていたことがどんどん明らかになり、それに気づくための出来事が勃発していきます。

3年前に転んで利き腕の骨折をしてしばらくパンが焼けなくなり、2年前に仕送りのためバイトしていた福祉施設での夜勤明けにスリップ事故を起こしてしまい肋骨骨折と肺挫傷で入院、昨年は利き手小指の骨折と度重なる怪我と事故がきっかけで、これはどう見ても何かが間違っているというお知らせだと感じ、今までの人生を振り返らざるを得ない状態に。

そして過去を深掘ると、良い事に拘って無理をしてきたこと、良いことをしていないと生きていてはいけないという思い込み、幼少期の痴漢経験から自分を大切に出来ないというトラウマ、思春期の家族の破綻の経験から自分はしあわせになってはいけないという無意識の魔法をかけていた事などが見えてきました。

開店当初につけた、しあわせな食材を使わせていただける「しあわせなぱん屋てんねんや」という名前の通り、生きるに最低限必要は小さなしあわせ部分にはアクセルを踏んで進んで行けても、自分でこれ以上は贅沢で持ってはいけないと思い込んでいた大きなしあわせには気づかぬうちに全力でブレーキをかけているという矛盾した状態だったことを自覚!

これは自分なりにもう克服し、田舎の一軒家に住んで手作りの暮らしという子供の頃からの夢も叶ってしあわせになっていると思っていたのに、実はそれは薄氷のようなもので、無意識の自虐と抑圧、自己卑下などのマイナス感情をとことん押し殺し、深層心理に落とし込み忘れた上での表面上のしあわせだったことが理解できたのです。

それは、ある瞬間に爆発するかのように訪れる怒りの感情だったり、自分に向ける厳しい要求だったり、家族、特に分身である子供たちに向かうある部分の同様の厳しさから、自分でも手に負えない違和感として感じていた部分でした。

しあわせだと思っていた自分の中に全く相反するものが内在し、手に負えない闇で、おかしいなという自覚はあっても克服できない澱みのような部分。それらを理解し深く自覚できたことにより改善に向かうことが出来て、長年の苦しかった難問が氷解していくような安堵感をもたらしました。

振り返ればどん底の中でもいつも光はありました。事故の際に元旦那様に助けていただいたり、いつも家族の絆に救われたり、しんどい時の仲間の差し入れに感動したりしつつ、こんな自分でも許されていること、愛されていること、生かされていることを心の底から実感したのです。

これは骨折や事故などのマイナスから生じたプラスの結果で、このことに気づくことがなければ私は無理を続け、更なる大きな事故などで命がなかった可能性があると今思います。気づけた、気づかせていただけたことによって、アクセルを踏みながらブレーキをかけ続けているような矛盾した状態の無意識の原因と向き合うことができ、陰極まれば陽に転ずるといわれるように、問題の1番根底からまるっとひっくり返すかのように転換することができたのです。

その影響は絶大で、自己否定を無くし自己肯定感を取り戻したことで、思い出せなかった幼少期の記憶が戻ってきたり、大きな出来事があるたびに寸断されていた記憶が甦り断片的だった過去が全て繋がっていたことを思い出してきて、ようやく地に足がついた感じです。


自分が自分であると自覚し人生の記憶が繋がり、何もかも関連があり、全てに意味があったこと、起こることはみな必然であるという宇宙の真理の一部をほんの少し垣間見ることが出来ました。(日常の中に普通に真理がありますよね)

今から思うと過去の私は迷子でした。


心が分裂しているように感じることがあり、一体感がなく自分を信じられずに恐怖心すら抱いていたのですが、それも自己否定故の統一感の無さから生じたものだと理解できたことで分裂感が無くなり、いつでもどこでも変わらぬ素の自分いられることが多くなり、心が明るく穏やかになってきました。

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氷紋アートが
​生まれました

このような変容の流れの中でいただいた骨折後のパンを作れない時に、子供への仕送りもあるのにどうしようと必死に何ができるかを考えました。


丁度子供たちが半巣立ったのを機に、今まで温めていた「お預かりしていて、まだ世に出していない歌や絵、森を全て活かして生活を芸術にしていく」という目標があったのと、手に力が入らなくても出来ることから探し、封印していた絵を再開し、てんねんやアート部門「天然芸術〜tennenart〜」として地元で生まれた窓の霜「氷紋」を中心とした抽象アート活動を始め制作をしながら、農林製造アーティスト(自然農、自伐型林業、菓子製造業、絵描き、唄歌い)という肩書で様々な方面から地球讃美としあわせな暮らしに回帰するメッセージを形にしようと模索して今に至ります。

「活かす」暮らしの中で、先人たちの贈りものである敷地内の幹回り306cmのイチイの巨樹や、幹回り260cmの見事な樹形の二股の桂の木、人が傘にできるくらいの180cm級巨大フキなど、貴重な自然遺産を保護保全し後世に繋げる【千年先に遺す巨樹の森プロジェクト】を立ち上げ、地域の有志が参画する自伐型林業を営む地域活性化団体シンタのメンバーとして森の育成を始めて2年目になりました。

巨樹の森を整備して一般公開し、大自然の素晴らしさを体験していただく場所の一つとして、自然食と自然農、林業と散策できる庭園を組み合わせた【巨樹と自然農ガーデン・天然庭園】を創る目標を掲げて活動しています。

熊も出る山奥に年々増える鹿やアライグマに貴重な巨大フキや増やしたハーブたちを食害され絶滅寸前のものもある為、敷地に獣除け電柵を張るためのプロジェクト、感謝の思いから生まれたご当地ソングを世に出すプロジェクト、工房拡大と絵と食の解放と美味しいワークショップ開催のための古屋リフォームプロジェクトも順次計画し、先先はシングルマザーの自立をお手伝いするパンやお菓子の手に職ワークや、お声が多い絵のワークショップの開催を計画しています。

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最後に

長くお付き合いくださりありがとうございます。


生涯かけてのご恩返しプロジェクトは始まったばかりです。


この絵たちは既に購入の申し出や次の展示のオファーもいただいており、世に羽ばたいていく運命を持っているようで驚きつつ、全く我が力でないところで動いていることを感じています。


なので尚更叶えてあげたい。起こる全ての出来事に意味があり、世界の何処かで誰かがこの絵を必要としているのならば、届けなくてはならない、届けたいと使命のように思います。

このように企画は自然にどんどん拡がっているので、ご支援によって今後できることが増え、展望も変わります。


ぜひこの美しい絵たちを世界に届け、人は皆誰でも同じように大地も空気も光も水も何もかもをいただいて、愛されて生かされているという根源を思い出すきっかけの小さなひとつとなれたら、この絵を授かった役割を果たせると感じ、ここに至るまでの人生の波瀾万丈の全ての意味と全ての経験が実となり美しいアートとして昇華してくれるのではないかと感じています。

私が無意識のうちにしあわせを諦めていた事から、潜在意識で不幸せの方向に舵を取っていた事で自分を否定し続けた結果、自分を無様にしたり、無理に気づけず身体を痛めたり、離婚したり、人とすれ違いを起こした過去の出来事を悔いて反省してきました。


人は様々な経験を通じて、最後はしあわせになるために生まれてきたと思えるようになり、心からひとつずつ改善して自らしあわせになる方向に方向転換しようとしてきたら、絵が生まれ羽ばたきこのプロジェクトに辿り着きました。

ひとりの小さなしあわせが満ち溢れ、こぼれ落ちた波紋が拡がるように小さな世界平和の輪をつくっていく、そんな小さな流れのひとつになりたい。


それが結果的に地域へのご恩返しに繋がり、小さなしあわせの連鎖から人が愛と感謝と優しさに満ちた心に立ち返っていて、気づけば周りがにこにこしあわせになっていて、いつの間にか仲間同士が争ったり傷つけあったりしてきた悲しく申し訳ない人類史に終止符が打たれ、しあわせな世界が出来ちゃった!という超しあわせな結末に繋げていけたら素敵だなと思います。


そういう未来を描きたい。そのために先ず自分が変わり、行動することから始めます。私というハチドリの一雫です。

芸術は世界を変える力を持っている、感動は人を変えることができる最大の力だと思います。


大自然から賜った心に残る光降りそそぐ絵を日本に、世界にお届けして、沢山の方に私も感じた光を感じてもらえたら嬉しい。そして過疎地から世界に羽ばたく絵が生まれることで、お世話になった皆様にも喜んでいただけたら私も幸せです。


ぜひ一緒にルーヴルとフィレンツェへの夢に乗って一緒にワクワクして欲しいです!みんなのワクワクがこのプロジェクトを成し遂げる大きな力になります。


ぜひ応援よろしくお願いいたします!


感謝を込めて 天然芸術 林れいか

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